清水宏保は帯広市出身で、白樺学園高から日大へ進み、93年2月のイタリアでのワールドカップの五百メートルで初出場初優勝を果たした。
長野五輪の五百メートルで、日本スピードスケート界初の五輪金メダリストとなり、千メートルでも銅メダルを獲得。
ソルトレークシティー五輪では五百メートルで2位に入った。
W杯の五百メートルでは通算34勝をマークした。98年3月の世界距離別選手権で世界初の34秒台となる34秒82をマークするなど世界記録も通算4度更新した。
近年は、腰痛などに苦しみ、05年3月の世界距離別選手権で2位に入って以降は低迷が続いた。
トリノ五輪は五百メートルで18位に終わり、再起を懸けたバンクーバー五輪の代表選考会に出場するも惨敗し、5大会連続の五輪出場を逃していた。
日本スピードスケート界を長年にわたり牽引してきた清水選手。
現在の日本スピードスケート選手が、ワールドカップや五輪でメダル獲得できるようになった礎をつくったのが同選手である。その功績は計り知れないものがある。
まだ、35歳 まだまだやれると思うが、引退宣言をした清水選手 本当にお疲れ様でした。
SP4位の織田信成は、最初のジャンプで4回転を回避し、後半、トリプルループの着氷で手をつき、靴ひもが切れるアクシデントに見舞われ、演技を一時中断するも後はダブルアクセルなどを成功させ、最後まで演技を終え、フリーで153.69点を獲得し、合計238.54点で7位に入賞した。
SP8位の小塚崇彦は、最初に4回転トゥループを見事に成功させ、コンビネーションジャンプも2回連続で成功、後半も3連続ジャンプを決めたが、その後のトリプルアクセルで惜しくも転倒した。演技後は改心のガッツポーズを見せ、フリーで151.60点を獲得し合計231.19点で8位入賞となった。
日本男子史上初の五輪メダル獲得した高橋大輔は右ひざ前十字じん帯断裂の大けがから約1年4カ月、バンクーバーオリンピックで最高の形で復活を遂げた。
出場全選手がすばらしい成績を残し、すばらしい演技を見せてもらいました。
男子フィギュアに続き、女子フィギュアにもこの勢いに乗っていい演技とともにいい成績を残してほしい。